昨年秋から今年の春にかけてくらい
実はこんな動画を、今年の春先くらいに投稿してたり。
動画編集のテストがてらに。
ちなみにテロップがクソ早いですね。
というのも今日、この動画の第二回を作ってて、テロップ早すぎて誰も読めなくない!?と気づいた。
動画完成してもはやアップロードまでしてたけど、改めて見たら早すぎる。
ちょっとはやすぎるかもよ!? Bダッシュ!
どころじゃないくらいはやすぎる。
悲しみにくれながら動画は没にするわけですが。
その動画、ひたすら料理中に昨年秋から今年の春にかけてくらいの自分の話を延々とし続ける、というものだった。
それもテロップ上で。
動画の俺は無言でひたすら料理作ってます。
その時の文章が、動画没にしてしまうとあまりにもかけた時間が……という感じでもったいないので、ここに載せることにします。
一部整形するものの、動画のテロップがもとなので、文章にしてみると少し変かも。
まあ、大佐の近況はこんな感じです、ということで。
ちなみにこんな生々しい話はあんまりしていると滅入るので、今後はあんまりないのでご安心を。
まあ今回は内容は悪い話じゃないけどね。
あとテロップで打ってる時はちょっと長いかな、くらいに思ってたけど改めて文として貼っつけたらアホみたいに長いことに気づいたので長文注意で……
★以下本文★
◯第一部
おそらくこの動画を撮っているのは、3月くらい。
この時期の大佐なんですが、年末年始にちょっとした大きなイベントがあり、それがちょうど終わった頃ぐらいですかね。
それが無事終わってのんびりしている頃です。
というかもう、身体に力が入らんわけです。
燃え尽き症候群?
いや~
特段燃え尽きるようなことはしてないんやけどなあ……。
といった感じで、のんびりぐうたらな大佐というわけです。
いうてまだ3月で寒いからかな、と思いましたが春になったらなったらで、結局だらだらしてると思います。
春眠暁を覚えず、とか言うて。
まあ、心置きなくぐうたらできるのは、さっき言った一大イベントが無事終わったから。
一大イベントって何なんだよと言う話ですが、一言でいうと、『親会社転籍』です。
しがないおっさんのわたしは、地元のまったり大企業子会社勤め。
だったんですが、元々やってた仕事は、大半がアウトソーシングされていくという。
この仕事で定年までやるぞ、とマジで思ってたわけなんやが。
もう今となっては流行りの多重請負で、わたしが元々地元でやってたような仕事は、いったいいくつの会社が間に入って、最終的に作業している人は何次請けの人なのか。
もう、わかりゃしないような状態です。
さて、地元から居場所がなくなった勤め人の大佐。
はじめはそれらしきポストは用意してくれました。
だがしかし、会社が再編成を繰り返し、気づいた頃には、親会社が持っていたような『しんどい』仕事も子会社に移っていたという話で、わたしはそういった部署の配属になっていたというオチです。
子会社は、一般的に七掛け、八掛けといって、親会社社員の給料に、0.7や、0.8とかを掛けたものが、子会社社員の給料になったりします。
会社によりけりなんで、0.9だったり、親会社と同じだったり、もしかしたらそれ以上のところもあるかもしれませんが、自分のところもしっかり0.8くらい掛けられておりました。
元々親会社でやってた仕事が子会社におりてきて、それをやったからといっても、子会社社員である以上、お給料は子会社のソレです。
元々親会社で仕事なんで、親会社からの子会社への出向社員はいて、同じ仕事をしていますが、給料にはしっかり差はあります。
激務であればあるほど、この給料の差は大きく出ます。
100に0.8をかけると80で、100との差は20。
200に0.8をかけると160で、200との差は40。
当たり前の話なんですが、これがボディブローのように効いてきます。
これ自体に文句はないと行ったら、まあ普通に嘘になるんですが、行き着くところ最終的に、自己責任論になるわけです。
じゃあどうして親会社入らなかったの、と。
その言葉の裏どころか、もはやにじみ出ている『入れなかった自分が悪いよね』はもう反論しないとして、一つだけ言いたいのは、
自分の場合、入りたかった会社が偶然、大企業子会社だっただけなんですよね。
安い給料よりも、それ以外の面で惹かれるものがたくさんあった。
なんで、結局自己責任で片付けられる他ないので、公に愚痴ることもできず溜め込んだまま過ごしておりました。
ちょっとずつ、会社を変える準備はしたりしました。
国家資格も取りました。
ケツの穴に指を挿れられる思いで、勉強をして参りました。
※相当、嫌だったの意
去年の秋くらいから、いよいよ転職がリアルになりました。
大企業子会社社員であることに、驚くほど市場価値はなく、一度、中小に転職して、実績をつんで大企業に転職するのが、どうもセオリーだそうです。
ここまで長々仕事の話をしましたが、残念ながら私、大佐はいわゆる『無能』の部類です。
卑下とか謙遜でなく、残念ながらマジのやつ。
ここのところは今日は掘り下げませんが。
なんで中小に転職したら、そこでも無能が露呈して実績云々とかそれどころではなくなる、という話です。
有能しか生きやすさを主張できない
こんな世の中じゃ
POISON
というわけで、もう半ば玉砕覚悟の勢いで、そこそこ有名な大企業に向けにエントリーをしてみる、というヤケクソ気味な就活方針を立てて、1つ目の候補企業を決めたときでした。
親会社転籍の話が来たのは。
会社内でこの制度があることは知っているには知っていました。
ただ、最速で課長手前にまで出世しているような、クッソ有能な方々が選ばれている認識だったため、個人的な見解では、『ガス抜き』にすらならないような制度です。
「くやちかったらちゃんと仕事ちて親会社にきまちょうね~^^」
みたいなね。
(捻くれ無能)
まず、条件がそろえば親会社転籍のエントリーができたみたいで、どうも自分は条件が揃っていたため、エントリーしてくれていたらしいです。
エントリーすでにされたあとに知りました。
何の選考があるのかわからないですが、選ばれし者だけが面接に呼ばれるらしいです。
その時、仕事で生きにくさを感じでいて、そもそも転職活動する元気もなくなってたので、私はその面接に呼ばれるか呼ばれないかわかるまでは転職活動を休むことにしました。
(休むも何も、1社にもエントリーすらしてないんだよなあ…)
◯第二部
~無能で塞ぎ込んでいた大佐に、親会社転籍の面接の話が舞い降りた。~
こういった面接も正直始まる前からある程度結果が決まっていて、形だけなんじゃないのと思いつつも、万が一ってこともあるかもしれない。
そう思って年末から始まったのが、まずは『設定作り』です。
勤務先のホームページとかを見て、会社がここ数年でいつまでに何を目標としているのか。
そして自分は何ができて、この会社のためにどう貢献できるのか。
そういったことを真面目なレベルで考察して、それを完全な書き物にしてしまうわけです。
これが『設定作り』
これを完全に納得いくまで考察して推敲して、最終的に頭の中に叩き込む。
そうすれば、面談の中で嘘の言葉もないし、ブレることもないわけです。
これは私がそれこそ就活時代にやってた面接対策ですが、またやることになるとはなあ……。
なんかすげえ意識高そうな面接対策をしている感じがありますが、この時、マックスで職場で『生きにくさ』を体感していた時期で、仕事に対してもはや絶望と言うかこう、サツ意が湧いていたようなこんな状況で、
「なんで土日も会社のことこんな一生懸命考えなあかんねん」と、気分最悪な状態での対策でした。
まあこりゃ、自業自得や。
そんなこんなで最悪な状態で対策を進め。
年始の初詣は夫婦+お義母さんと行ったんですが、願掛けの要素のほうが強かったです。
なんかお受験控えた子どもみたいですね。
宣言書、なるものがあったりしたのでそれを書いてお願いしてね。
そうこうしている間に、面接まで2週間ほど。
大佐式面談対策は、ここから地獄のフェーズに入ります。
題して、地獄の面談シミュレーション(そのまんま東)
想定質問を考えられるだけ考え、想定回答を推敲(作った設定を元にね)
そしてそれを答える練習を、『動画を撮った状態』でやるのです。
地獄です。
キョドってたり、怪しい感じは後で動画を見返すと一発でわかります。
わかると同時に、タヒにたくなります。
ただこの方法は、当時の大学時代の大佐が就活時に編み出して、実働2ヶ月とかで無事早期に就活を終えることができた実績もあるので、今回も採用しました。
地獄の精神世界での戦いを、休日1日中やるわけです。
就活時と違って、スマホで手軽に撮れるんで、何度も繰り返しチェックもできて回転も早い。
その分、ダメージが入るターンの回転も早い。
嫌すぎたのか、最近の話なのにその時の記憶がいまいちないわけですが、未だに覚えているのは、ストレスすごすぎてマクドでおよそ2300円分、一気に食ったことですね。
そんなこんなで迎えた面談。
あれだけやると、当日は意外にもほぼほぼ緊張しなかった。
地獄の対策でダメージを受けすぎて、もうはよ終わってくれという思いしかなかったです。
で、面談なんですが、完璧の受け答えでした。
全部、想定質問です。
ただ、びっくりするぐらい感触がなかった。
打っても響かんみたいな感じで。
もはや呆然状態でしたが本音を言うと、もう終わったからなんでもええわ、という感じでした。
地獄の対策があまりに地獄過ぎて、最終的にもはやなんでもええわというところまで行き着いてしまった。
麒麟のラジオ体操のネタ思い出しますね。
もう受かっても受からんでもどっちでもいい~♪
もう終わったからええんや。面接はなかったことにしよう。
1週回って何故か穏やかな気持ちになったわけです。
前のお掃除の動画はその時に撮ったやつですね。
天井向いてるところから始まる辺り、そういうことです。
で、この動画をとる少し前。冬の終わり頃。
無事、親会社転籍を言い渡されます。
あーそんなんあったな……
!!?
という感じでしたね。
仕事中にコソッと言い渡されたし、周りにもその時点では知られてはいけない内容のため、とりあえず真っ先に妻に連絡しました。
妻とお義母さんがとてもよろこんでいる返事が返ってきて、ああ、戦いは終わったんやなあって。
社会生活における生きにくさという、永遠のテーマは依然残り続けるが、転職がどうのこうの、みたいな話が一気に解決したのが、本当によかった。
これでしがないおっさんに平穏な日常が、再び訪れたわけです。