タイムバグにのまれそうで
Twitterを鍵垢にした故、ブログにあんまり戻ってませんでした。
元気がないわけではないが、健全ではないのは確か。こまったよお。
Twitterでは言ってる通り、労働に対しての考え方で悩んでおります。
胡散臭い話になるが、引き寄せの法則を信じていて。本当に突然でアレですが。
というのも、ぬるい人生だなと思われるかもしれないが、大体強く願ったことは数年後には叶ってるわけで。
強く願うと行動とかがそれに寄っていくというか。今まであんまりビッグな願望を掲げなかったゆえ、それを成し遂げ続けてる感じはある。
ただ当然、願ってない事柄に関してはひっどいことが起きたりするわけで。
あと、願ってるものの内容が若干適切でなかった、というかイマイチだった場合、当然叶ってもあれれ?といった具合になったり。
前置きが長くなったので結論を。
現在の大佐は、労働に対して、学生時代に願っていた理想図の状態に完全になり得たわけですが、その立場になってみた結果、どうもこれは違ったな、と感じてます。
価値観が醸成される幼少期、親だとか周囲を見ていて、あんまり労働に希望を見いだせなく、『労働=生きていくための金を稼ぐ手段』としか思えないまま、大人になってしまった。
それで食っていきたいみたいなものも、それで食っていけそうといった才能もないと中学くらいの時には自覚していて、というかそういった志もないので、その頃の大差の夢は『地方公務員』でした。
田舎というか古い価値観あるあるですが、公務員というと親親戚、その他からの受けはよく、倒産とかクビとも無縁で、そこそこ楽にお金をもらえる、というイメージでした。
公務員試験さえうかれば、何か突出した才能がなくても、お金とまぁまぁもらえてそこそこ安定した人生を送れる、という公務員に対してよくもわかっていないためにそういった幻想を抱いてました。
公務員の方が見てたら本当に申し訳ないです。中学時代の大佐の勝手なイメージなんで、ご了承を……。
あれから15年以上経ちました。大佐はなんと、公務員ではないですが、思い描いていたような公務員像と全く同じような感じで働いています。
自慢かと言われると、自慢になってしまいます。気にされた方は申し訳ないです。
- そう倒産やクビにならない
- お休みもそこそこに多い
- かといって仕事内容も特別なスキルや才能が居るかといえばそうでもない
- お給料もそこそこ
- 世間体もかなりいい
文句なしです。すごい。すごいよ大佐。
『労働=生きていくための金を稼ぐ手段』と考えている自分からすると、この上ないわけで。
じゃあもう大佐は満足では?なんにも悩むことないですね!よかったね大佐、思い描いていたことがまた叶って。
二人は幸せなキスをして終了です。
ダメみたいですね。
あかんかったので、現状違和感でいっぱいです。
おそらく『労働=生きていくための金を稼ぐ手段』がミスってたっぽいです。
とりあえず現状の自分に何が起きてるかと言うと、労働している時の自分が自分に思えないということが起きています。
具体的には、
朝起きて用意して通勤電車乗って。
この辺まではまだ『大佐』です。
職場ついて、今日も仕事やるかとパソコンの電源をつける。
まだ『大佐』です。
帰りの電車で、このあとは銭湯行ってちょっとアニメ見たら……あれ、もう寝る時間になるな?
あれ、なんでこんな早いん??
と、『大佐』は毎日違和感と軽めの絶望(落胆?)を感じます。
というのが素で起きてます。
何がおかしいか文章でうまく説明できないな。
上記の文では、実際に大佐が労働しているお話が一切ありません。
これが、私の中で感覚としてほぼ毎日、起こっているのです。
大佐の朝は無駄に早く、5時すぎくらいに起きていて7時にはお仕事が始まってるわけですが、その後一気に勝手に19時前くらいの帰りの電車になってるわけです。
仕事の記憶はないわけがないです。ちゃんと仕事してるわけなので。
ただこの先が問題で、19時前くらいの帰りの電車の大佐は疲労感がありながらも、仕事のことを思い出そうとした時、仕事をしていた自分を横から見てた時の状況を思い出すような感覚なんですよね。
他人の仕事を真横で一緒にずっと見てた感覚というか。ここのところがうまく伝わらない気がする。
ちょっとアプローチを変えると、19時前くらいの帰りの電車にいる時、『ついさっきの記憶』といえば当然、さっきまで職場にいた事になるのは理論的にも事実としても確かなのは当然わかるんですが、しっくり来るのは行きの電車のときのことになるんですよね。12時間位前のことなんやけどなあ……
『労働=生きていくための金を稼ぐ手段』という価値観が根付きすぎて、労働の時の自分が自分のようでない、が悪化しすぎた結果、割り切りが行くとこまでいき、マジで労働の時の自分が『他人事』のような感覚になってしまったわけです。
職場で軽い雑談とかした日があれば、まだなんとか断片的に日中の出来事も自分事としてちゃんと記憶に残ってます。
それすらもなかった日は、マジで7時から19時に飛ぶような感覚になってしまう。
やばいよなこれ。何がやばいかと言われればアレやけど、普通ではない状況になってるよな。
これは今に気づいた話でなく、ここ数ヶ月うっすらそんな気がしていて、それが次第に確信になっていった次第です。
じゃあどうするか。
まあまずは病院やね(正論)
そもそも10年ほど前、当時大学研究室通いの時に、心療内科の先生にこれ以上大学に行くことを止められた際、そのまま逃亡して以降心療内科には一度も行ってないので、まずはここ10年の経過を見てもらわないといけない。そもそもの話。
そして次に労働。間違えてはいけないのは、手に入れた理想のこの状況は手放してはいけない。
ここの判断は絶対間違ってはいけない。誰にそそのかされようと、この勤務形態は確実に恵まれていることを忘れてはいけない。
日々、多少悪い夢を見させられるのと引き換えに得ているベーシックインカムと思うことにする。ベーシックインカムにしては十分に貰いすぎているくらい。
これは非常にありがたい話である。
ただこのベーシックインカムと引き換えに、俺には平日は自分の『生きている』時間が数時間ほどしかない。休日はフルである。
そんな中、自分が『生きていること』を実感するにはどうしたらいいか。
そういう感じに考えれば、何かもう少しどうすればいいのかが、見えてくる……気がする。
とりとめのない文章のまま終わりそうな気がしたけど、無理やりにでも終わらせないとまた、形に残さないまま消してしまって脳内だけで思考がグルグル回り続ける状態に持っていった。
今年はまず、生きてる時間を増やせるよう頑張ってみます。これは最低限